短歌日記65

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 弔いの花はなかりき棺さえ枯れた地面に置かれ朽ちたり


 ぼくばかりが遠ざかるなり道はずれいま一輪の花を咥える


 痛みとは永久の慰みいくつかの道路標識狂いたるかな


 ことばなきわたし語りがときを成すいずれ寂しきわれらの夜に


 発語する勇気もなくて立ち去りし卒業のちの再会のとき


 いずれにせよ果実がぼくの季節を奪い去ってしまう


 かたときもがまんならずか過ぎ去ったものに寄せたるおれの妄執


 ひとがみなわれを忘れて去ってゆく季節の城の門扉が閉じて


 あかときの青信号に立ち止まる恋人たちの羽根が落ちゆく


 なにがまたぼくを咎めるものがあろう街路樹たちのささやきのなかで


 夢がまたおれをからかう おれはまた宙吊り地獄の男妾か


 語りつつめぐりつつまた蒼穹の夢のなかにてひらくファスナー


 きみのいまがラージサイズのペプシとして再現される観客席よ


   *


 孤立がひとを癒やすことはない。狂気とすれすれの日常を強いられるだけだ。身近に親しい友人も、恋人も、親類もなく、また職を持たず、あるいは作業所通いだけで、ほかにはなにもない。文学はほとんど終わりが見えて来た。どうやら短歌というマイナージャンルのなかで無名のまま朽ちるだけだというのがわかって来た。絵はもう描いていない。写真は話にならない。音楽は機材の関係で沙汰止みになってしまっている。ギターを買うか、それとも修理するのか。あと5年しか生きないと考えているのに新しい機材が果たして必要なのか。来年、デモ録音を完了する予定だ。歌ものはそれで終わり。2枚分の歌があればいい。あとはシンセをやる。即興音楽をやって配信したい。動画で残したい。
 もはやライブをやって聴衆と出会おうなどとは考えていない。今年は一度だけライブをやったものの、ひどいできだった。すっかり傷心したおれはエレキギターをバラシタ。そして棄てた。