短歌日記59

 

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 雷鳴のとどく場所まで駈けてゆく光りのなかの愉しい家族


 待つ男 笑う価値さえないおれのこころの澱をいま立ち上がる


 駅じゅうにおなじ女が立ちふさぐ地上に愛のなきことに啼き


 友だちがいるならいずれわが骨を拾わすといいてひとりの夏


 隠さないで──きみのうちなるぼくがいう驟雨ののちの光りのなかで


 夏またぎ 自転車通る一筋の車輪の跡が光るゆうぐれ


 戦車現る ときの巌を覗き見る少年ひとり眠れぬ夜に


 夏期講習報せる通知受け取って女学生らが去りし回廊


 抜ける青とどめく青よ青だけの世界あらしめ夏のまぼろし


 逆回転するおもいでばかり逆子らがときの地平に躓くばかり


 なおのこときみが愛しい夜も昼も呪いのように呟くなまえ


 いつかのようにきみを呼ばいて眠れない夜の頭蓋を照らす月見ゆ


 だれもない場所がよすがか夏の花かかげるばかり汗を流しつ


 いずれまた会うこともなし過去たちの落下音すら此処に響かず


 雨光るルーフの上の蟻たちが落ちてゆくなりせつなの彼方


 みなおなじ科白でもって去ってゆくこの情景よ名づけられずや


 海という一語に眠る13の遠泳をするわれの姿よ


 蜃気楼 夢見る頃よなつのべにひとり帰って来る汽船たち


 レーシングフォーム読みながら対話する咥え莨の若き馬喰
 

 花言葉忘れるたびにそれぞれの道を見つけた放浪のひと


 ひざかりの水蜜桃よ憩いつつ遠い戦のまえぶれを聴く


 物語るひと おまえのなかにいまけもの一匹まぎれて淡い


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〇歌論のためのノート

 いくつかの断片をつくってみようとおもう。現状はきびしい。状況に胡坐をかいた歌人たちがメインストリームを占拠している。かれらかの女らに欠けているのは日常の「劇化」であり、想像力の「祝祭化」である。似たような光景、似たような感情に麻痺してしまった歌人たちから、いまいちど歌を取り戻すために、わたしはわたしの歌から旧来の前衛短歌臭さを取り除き、あたらしく在る必要がある。もはや寺山修司塚本邦雄の時代ではない、おれの時代になったんだと自覚する必要がある。そのうえで短歌とはなにかを考えるしかない。多くの時間、多くの夜にひらいてやまなかった本。もはや自立するべき対象となった本だ。その世界を離脱して詠むのだ。もういいだろう、他人の声を求め、そして耳そばだてる時間は。