短歌日記55

 


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 ふたつきも遅れて知れりマーク・スチュワートの死などをおもうわれの六月


 かつてまだ清きわれなどありはせず水桶ひとつ枯れて立つのみ


 大粒の汗ながれたりおもづらに不安が充ちる拳闘士かな


 別離のほかに道などあらず静脈の畔に集う農夫のふたり


 うすらびのかなたにきこゆ声ならば耳をすまそう裁きのなかで


 けつまずく犬よ死人の貌に似た門扉のまえで吼え声もなし


 3ラウンド終わりたりいまがらすのような水よ滴れセコンドの眼


 はるかなる他者のなかへと読まれつつ忘れられゆくわればかりなり


 ゆうやみにふかづめ光る花のごと萎れるおもい抱えきれない


 戦前の道の半ばでかぞえたる小銭はすべて指紋に濁る


 暗渠を走るたましい欲すやりばなきおもいの幾多星に似てをり


 あじさいのなかで女がたちどまる声なき雨季の果てのはてまで


 浴槽に金魚を放つ夏ちかき暑いわが家に冷を求めて


 よるべとは夜の廚か明滅の最後の光りきみへあげるよ


 かげが降る存在たりしものあれば窓より眺む──神などあらじ


 みずからをうたぐりながら道を踏む もはや友さえないこの一瞬を踏む


 ものがみな昏くなりたり机上にて貨物列車が取り残さるる


 「パリ、タンゴの復興」聴きながら没落するガットの嘆き


 ささやかな願いもあらずおもざしにほんのひとひら花を捧げる


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