両親へ
ウォーホルとカポーティとブローティガンはともに父を知らず
母性のつよい影響下で育ったという
そのいっぽうでブコウスキーは母の存在が薄く
父の打擲と恫喝に苛まれてたという
おれも母をほとんど
知らないと来る
かの女はつねに父のうしろにいてみえなかった
十歳下の妹できてからはパートタイム労働者になり
さらにみることがなくなった
深夜を弁当屋で過ごし
午はゴルフ場へと
赴く
やがてかの女は自己啓発本や
安手の幸福志向にそまってった
いちばんむかむかさせたのは
幸運の絵や写真──ブロック・ノイズまるだしの紙頽
そんなものを額に入れて玄関やくそ狭い便所に飾ってた
そのいっぽうでおれはちゃちなビクトリア幻想の、
父による解体と増築のレッスンがあった
アントンの大聖堂じゃないけれど
幼い時分からその建築
は始まってた
離れは母屋を侵食し
妄想は現実化してしまう
あるときは数字についてのことで
あるときは角材の長さのまちがいで
全人格──存在そのものを否定された
やつのお気に入りの文句はこうだ、──
長い恫喝ぢみた説教がいやで逃げようとすれば金槌の柄で撲られた
なんでこんなことばかりなんだろうっておもってた
十六歳の夏、父は母屋の屋根を解体して平屋に二階をつくってた
しかし自身との自己同一化を拒絶したおれにぶち切れた父は
おれの髪をめちゃめちゃに剪り落としてしまった
それでも抵抗することができなかった
生野高原というくそったれな田舎には、
逃げ込む場も仲間もなかったんだ
やがて母が帰ってきた
いつものようになんの変わりもなくて
おれの頭をみてもなんにもなかったかのように
通り過ぎていくだけのことだった
そのさわり、ふとおもいだしたのは
生瀬にあるバレエ教室だった
ひとつうえの姉がそこで
習ってるのを
母は見学し
おれはおもての
螺旋階段のまえへと
退屈むきだしで抛りされ
まったく見棄てられてしまってた
わが家の王妃たる姉は理知にも容貌にも立場にも恵まれてたけれど
おれと来たらなにもかもがでたらめでことばすら満足でなかった
──いまも書いてるからこそ言語を発することができる
ともかく母はいつも半分いて半分いないようだった
日雇い仕事がうまくいかなくなったとき
おれは次第に母を攻撃する喜びを
アルコール漬けの脳のうちで
知った
金をせびり
料理を床にぶちまけ
おまえと呼ぶ
なんという愉しい虚無なんだろうか!
このために母は存在してたのか!
放埒が去ったいまも
夢想する
かの女を罵ることをだ
いまも惨めに働きつづけるあいま
父はじぶんだけでスペインやイタリアへと旅をする
神さま、どうかかれの飛行機が消息不明になりますように、だ
角の"Academy Bar"で一杯千円のギムレットでもやりながら
あのくそったれな大聖堂の没落を静かに心地よく聴きたいもんだよ