映画『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ』を観る


 このシリーズは初見だった。映画に於ける殺し屋について考えながら観ていた。しかし、この映画はなにもかも軽薄だ。人物造形も音楽も、作劇も、肝心なアクションも銃器の描写さえ軽い。映画館に入ってすぐに後悔してしまった。莫迦らしい歌がかかる。テレビ的なサイズ感の演出。主演ふたりは協会所属の殺し屋で、ゲストの池松壮亮は非所属の殺し屋というわけで、前者の殺しを邪魔した池松は狙われることになるのだが、そこからしばらくは建物内での取っ組み合い。銃を持っているのに肉弾戦をやらかしている。掴み合いをだらだらとやっている。銃は距離を保って使うものなのに、果ては銃の奪い合いなんかしている。ヘッドショット一発ほどの緊張感もない。派手なアクションがクドい。長いブレイク・ダンス。そして決着が陳腐である。16ラウンドまでやるクドいボクシングのようだ。ジャブばっかりの。

 池松壮亮のバックグラウンド描写があまりにも乏しい。かれがなぜ殺し屋を択んだのかが不明瞭。150人殺しのきっかけも、大した事情ではない。いったい、どれほどの金額で仕事を請け負っていたのかが気に掛かる。終盤で農家で大量殺人をするが、そのあと、その仲間たちと打ち解けるさまは寒々しい。

 けっきょくクソ長い乱闘の末に池松は死に、生き残った女子ふたりのじゃれ合いで幕を閉じる。陳腐なJ-POPが流れる。劇場が明るくなったとき、客の少なさに驚いた。音楽は破壊的にダメだ。メロディも編曲も際立つものがない。連名だが、作家性がない。予算がないのか。サントラを売るつもりがないのだろう。……とまあ、こんなことをおもった。殺し屋同士の密室的映画でいえば、やはり鈴木清順の『殺しの烙印』は白眉で、あそこまで突き抜けていたら赦せるのだが、如何せんリアル、アンリアルどちらにも中途半端なん姿勢が窺えて閉口した。せいぜい女子のひとりがfender, fugazi, andymoriのTシャツなのが注目を引いたぐらいだ。

 ……そんなことをおもって5chにも書き込んだのだが、「レス乞食」のレッテル貼り。この映画のファンが異論を認めないのはわかった。どういった客層であるのかも。──というわけで次に観るのは黒沢清の『Cloud』か。口直しのいっぽんが要る。まあ、おれのいっていることなんてわかるやつにしかわからない。