道徳

道徳

   初出『リトル・シティ』誌 1970年5月号

 エドヴァルド・ムンクの『サン・クレーの夜』のプリントを
 壁いっぱいに貼りつけてエレナ・ウースはわたしの履歴書を点検していた
 赤毛のエレナ、それからわたしのうしろに控える半ダースの求職者たち
 正気を失いかけた午後の陽射しがかすかに忍び込んで来るオフィス
 『殺し屋について』と題されたわたしの頭のなかの草稿
 なんやかんやあって検品係にいちばんで採用が決まった
 よしよし、あとはカフェでビールを呑むだけだった
 けれども廊下へでたわたしをエレナは呼び戻した
 そして職務経歴書の空白を指さした
 「これはなんですか?」
 「苦悩と研鑽の一年ですよ」
 「なんですって?」
 「だから苦悩と研鑽の”二年”ですよ」といったんだ
 「冗談は困ります。これはまっとうな仕事なんですよ」
 「それはウースさん、わたしのせいではないんだ。とても大変だったってことですよ」
 「とにかく採用はなしです。お引き取りください」
 わたしは一瞬で青くなった
 もう一週間、この町で食い扶持をさがしていて
 だのにたった数年の空白が理由で追いだされる
 そんなことはぜったいに赦せなかった
 「おい、エレナ!」
 わたしは怒鳴った
 『サン・クレーの夜』が震撼するほどの声でだ
 「おい、エレナ、おまえわかってんのか? てめえのいってることがよ!」
 そしたらエレナのやつ、わたしにむかって中指を突き立てて、
 さっそく警察に電話しようとする
 わたしは逃げたよ、エレナさん
 とんだ、厭なやつだ
 ふたりとも。