われのリリオム

 リリオム ならず者のところへもくるか? もし愛したら──(モルナール「リリオム」)


   *


 天籟を授かりしかなゆかこという少女愛しし十二のぼくは

 裏庭を濡らす霧雨にすらかのひとのかげを重ねたりにけり

 初恋に死すことならず三叉路の真んなかにただネオンあり 

 ショーマンになりそこねたりひとの世に泣く淋しさよ舞台を仰ぐ

 さしすせそ──さ行ばかりが胸を過ぐさよならというおもいのなかに

 終わりゆく枷や軛を愛おしむ幾千人の正しきひとびと

 冬の日に蜆を買ってひとりのみ時計じかけの月を見上ぐる

 霧笛鳴る神戸の港不眠症長距離走者ひとり過ぎ去る

 諦観の水の流るる河床のみずからのかげ消えぬままゐる

 神のなき地上はるかに光りつつ無人のままのハンバーガー屋


   *


 夫婦たるべく日の果てに一匹の犬を求めてやまんか

 息子の眼──魚群のなかに放たれてさまよう水族園の午
 
 午睡せし息子の顔をしらじらと照らす冬日や間伐の音

 ひざまずき息子の服を直すとき母という語を嬉しくおもう

 通行止めのむこうにわずか鬼火あり夫ともにしばらく見つむ
 
 冬の蠅いきつくところなきままに土のうえに閉じる生涯

 この土地に嫁いで以来夢に見る三階の窓を走る馬たち

 わが子らのやすらぎありて懐かしむふるさとちかき田園はなし

 枕木を数えて歩む帰り道充ちたりたれるわたしの列車

 鳥を喰う猫ありそんなことなんかいつか忘れてしまいたりけり

 夜の桃──かつては少女だったみな月の光りに照らされており


   *


 莨火をふかす月夜に神という神に下れる人涜の罰

 法医学教授するひと人体のなかに眠れる口唇期かな 

 懐妊の響きを以っていつくしむわが子のなまえいまだなきまま

 わが敵となりし男や夜はまた夫ともに愛語を交わす

 ソーダ水呑みつつ職を熟しては水平線を見たくなりたり

 冬暁の朝の光りの暖かくやがて忘れんかれはわたしを

 わたしというなまえ忘れぬ膝かしら少しばかりの血に滲みたり

 望郷のおもいもならずこの土地の鯖のあたまはいつまで青し

 土塊に過ぎぬわれらと唱えたる基督信徒の外套の艶

 黒人の歌の調べよ子供という未知なるものの歌は流れぬ

 わたしの神かも知れない子鼠を夫に託し幾千万の星をば眺めん