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卑語にさえたじろがないきみの眼に見つめられつつ過ぎる葦原
日本語の孤愁へひとり残されて犀星の詩を口遊むのみ
再会を遠く夢見て老いてゆくいっぴきのわれ死せるその日よ
「ふるさとは遠きにありておもうもの」ひとり立証せし一夜
死せし犬縄の終わりにぶら下がる父という名の未完の建築
唾するわがふるさとの地平にて溶接棒の光りは眩し
芒原ひろがる土地にかつてまだきみの棲む家まぶたへ映ずる
ひとり残らず幼友だちを喪い回想のなか楔打つのみ
枯稿というものを識らずに沈々と更け入る夜の思慕のひとひら
ナミダという海に溺れてしまえれば片恋地獄も凪ぎてゆくのか
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だれもない待合室で草臥れて猶ひと恋し鰥夫の失意
つなぐ手のなきまま暮れる人生が回転木馬を追い越してゆく
暮れる冬窓いっせいに青々と竈がまわり子供がまわる
黙するは一語の和解なきままに朽ちて腐るるわが家の窓だ
いまさらに過古をば悔やみ果つる月祐子のための音楽つくる
いつかまた会えたらいいと懐かしみわれ中年の階に坐す
きみのようになれまいと羽根棄てるみどりのからすにぼくはなりた
おもいでのなかのユウコの笑みをただ初冬の夜の鍋に匿う
初雪はまたかと丘を馳せくだるような跫音祐子のように
いたずらっぽく微笑む祐子おもいだすたとえぼくなどきらわれよう
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いままさに死ぬるからすのかげ翳めいっぽんの木を伐り終えるなり
火の記憶遠く遠くをたなびいて罰のふたたび降りるを待てり
まじないのようにぼく追う過古たちのなかから祐子だけが愛しい
一篇のブルーズみたく語られる苦い二度めの恋の風景
心臓のような柘榴の実を囓り幼きときのみずからを抱く
枯れし河測量人の跫音を石が呑みまた朝靄が呑む
いまいちどわたしのなまえ口にする遅れて笑うかれのよこがお
わたしという雪のなかにて横たわるかれの死后さえどうでもいいの
未明にてわたしのなかを通過する貨物のなかのかれの愚かさ
子供靴サービスエリアに残されて発見するも持ち主不明
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冬花火──川縁に立つ子供らの一瞬ぼくを怪しむまなこ
冬瓜のあばらに雨の垂れるままわたしなるものわずかに忘る
腐食せし鉄骨あまた土地に立つふるさとの門閉じて帰らん
風船飛ぶ──そのおもてに顔写し戯れているわたしの過古よ
懐いだすつかのまかれの顔昏しわたしのなかでふと見喪う
ちいさな町のなかでカメラを構えてはあたらしきものすべて妬まん
午后の陽のなかで妬心はふくれたるたとえばかつてのゆうじんの家
男たちと歩くかの女に焦がれては両切り莨ひとり咥える
懐かしきわが家などなし忌まわしきときの地平を見渡すばかり
にんげんの家なるものを遠ざかる父の建築依存症かな
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隣人のふるさとばかり懐かしむわが魂しいの餓えを飛ぶかげ
砕かれて猶土に還れず散らばるる浴室のタイルの水色を視る
赤インゲンの罐づめひとつ転がして休日の陽の明きを憾む
オリーブの実にて憩える金曜の傾く梁よおれを吊せよ
充ちがたき願いのあまた星蝕のすべて吸われ消えてしまえよ
殺意さえおもいでならん河下の鉄砲岩に拳を当てる
フェンスにて眠るものありカメラ持つわれに気づいて走る野禽は
空腹と孤立の抱く茨しかぼくにはないという現象学
零る陽のもとを夜勤の道すがら仰ぎ見てしばし歌えり
霜ぐもり枯れ木のうえを瞬いて自己という名の虚構を照らす
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ひとの名を忘るしもつき机上にてミニカーいちだい消息を絶つ
安物のファルファッレを茹でながら架空の対話をひとりめぐらす
明けぬ夜の銀河のほとり蒸気吹く機関車ひとり月を見あぐる
指ふたつ万年筆を弄びかつてのきみのおもかげを描く
トマト罐放ちつつあり琺瑯の鍋につぶやくかつての片恋
ともだちがいないことなど忘れたき芒原にてギターに触れる
黄昏れていてはいけない──告げてただ町へとつづく灯りたちかな
分光器かざして見つむきみがいた町のむこうの山の頂き
車窓見る過古からやがて現在へ失せていくのみわたしの初潮
頭蓋にてこぶしの花を咲かせたく獄中日記土に埋める
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在りし日の祐子をおもうぼくひとり若白髪を数えてばかり
青む眼の一羽が鳴らす鉄の檻ぼくは外套着て匿うさ
空というものの対義語探したる少女のせつなぽっかり暮れる
成長をするってことの淋しさを小さな町に棄てて来たりし
おもいおもいめぐらして姉たちのささやかなるあらがいを識る
われを憎む妹たちの夕月を洗面器にて保存し眺む
単葉機模型となれば天井の月へむかって哀歌を刻む
やわらかきまなざしばかり祐子のためにぬいぐるみをば贈った過古
写真とは記録に過ぎぬ大道の視点を犬がゆっくりと過ぐ
葡萄の木枯れながら蔦壁を這いわれのかげにて実る黒さよ
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師走にてひとりの友を葬れし夢を見るわが旅枕あり
茎嚼めばカンナの非情充つるまま鉄道貨車に惹かれてしまう
冬の根を掘るわれいまだ男という容れものにただ弄ばれる
過古という土地に娼館ありやなしや密航いまだ叶わぬもの
火柱を跨ぐ少女のおもざしに訪れる冬あまりに白く
愛語なく昏くなりたる室もはや孤独に甘えられずいて
鉈ふるう老夫溶暗せし夕餉憶えたばかりのガンボを喰らう
好きだったかの女のかげを求めては片恋図録の封印を解く
たったひとり投宿せしが夜ふけにて魚石の光るを見て逃亡す
中古るの産着の襞浮かぶ埃まみれの窓が明けゆく
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「くちびるが厚ければ情も篤し」老ゲイ・ボーイのまなざしやさし
遠ざかる夏よ誕生石を砕きたく宝石店のルビーを見つむ
友引とからめてひとり鍵穴の無人のむこう少年が凝視る
ぼくという冬硝子に投影すきみという名の夕がすみ欲し
天使とて淪落せしが陸に立ちスコッチ片手喰う氷頭膾
肉体が腐敗を免れようとあらがうときに初めて愛というものがある
隆一の最后の詩集捲るとき梨の畝へと光り差したり
愚者たるに楽園あらず運河にて孤舟の櫂をゆらす星暦
水雲の呼吸の果てにとりこまれ帰るところを持てないぼくら
エラスムス不在のときに訪れて神を説かるる淋しき寒帯
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アルコールに蝕まれてギターすらも弾けず羽化登仙の少女を求む
鳥語のみ教授し給う人類学者人語の解読いまだならんか
冬の蟻よじ登りたりもの干しの子供の靴にむくろとなりぬ
幼年のさみしさおもうロッカーのなかに他人の翅隠したり
抽撰器しわすの町に運ばれて運命以前の籤の悪名
銀匂うくるわてっと手に歩く松本隆の生き霊を見し
うしろ髪なびくかの女のまぼろしを花色として素描せしかな
かのひとのおもかげばかり午に見る名画のようなおぼろの残象
呼び声もなきままひとり立ちあがり月光の最終列車を待てり
雪女まだ来ぬ夜の門地にてかの女の科白ふと口遊む
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やがて来ん冬のあぎとに繋がるる星蝕のたび消えるわたしは
胎動期迎えつつありひとびとの顔を地下より照らすまなざし
冬の畝──少年ひとり眠りいてけもののごとく横たわるなり
聖家族さ迷う銀河われをただ見つけてくれる日を欲す
われ統べる愁いよ故郷という二字を消さんとするに親指淋し
靴磨く故郷の森を窯にくべ3小節のブルース唄う
ひとり呑む月光液の青さにてかのひとばかりわれをいたぶる
冬芝居はぶたい燃ゆる八日目の夜の舞台よ消えてしまえよ
きみのために喃語すべて残したるぼくのうちにて眠る犬たち
ふりかえる夢なきゆえに過古おもうきみの残した科白のなかで
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窓のないそらいっぱいの夕雲を捧げるきみがどこにもいない
葉脈を地図に見立ててアルルカンひとり辿って眠る日もあり
玻璃を撃つ──青年ひとりわがうちを歩きさ迷いやがて冬なる
飛ぶ伽藍──翅はいつしか質札になり抵当流れ待つのみとなる
玉葱の皮いちめんの床を見て母の出奔正しくおもう
家族とは他人のはじめ──母のいう辞の蹟に踵を鳴らす
仄昏き「家庭の医学」──死後だれも病むことなきをわれ歓びぬ
孤立にさえ厭くときありぬたとえれば雲路の果てに死ぬる流星
黄昏のときを愉しく聴きておりいまさらながらぼくは淋しい
犀流る河の最果て海という一語のためのくちづけが欲し
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緑打つ露の玉にていっぱいのきみのおもざし透かし見るかな
虹のなき冬の真午の雨あがり子供の声を慈しむのみ
ポケットを突き抜けて指を冬館赤き煉瓦の計らいに灼く
だまされて吊されながら人妻のまなざし熱く羊に挿れる
待合のかげにかの女の幻を見て一瞬にたじろぐわれは
無人機の離陸をモニター越しに見し幼年時代のぼくのかたわれ
妹の変身雨後の林にてひとり隠れて見るは祝祭の夜
天が散る午のかけらを隠しへと入れてふたたび無言電話す
わがうちの小さな町の莨屋に灯り点れる永久の夕景
叙景詩の小さな町よふるさとと呼ぶにふさわしからぬ貧しさよ
幸福な青少年期なきがゆえにひとりの月へ梯子を渡す
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