食卓をめぐるダンス

 警報がつづくテレビ画面のすみっこでぼくは歩き疲れた自身をなぐさめようとした
 だれかが鉈を抱えてこちらに来ないものかと、ずっと不安に怯えながら
 枝を踏む音がどこからかしているのにだれも気づかないふりで過ぎ
 死んだはずの人間と、婚姻を果たす男は夜を信じない
 冥府とこの世界を繋ぐ橋をマディソンと名づけながら、
 太い血管のような存りようでぼくの眼を奪おうと、
 隣人たちが裸を脱いで待機中である
 どうしたものか、ぼくのなかでかれらが涸れた河みたいに人生を横切っている
 だれともつかない呼び声がハロー、ハロー、と片言を囁くのはなぜか
 その声にぼくはレイモンド・カーヴァーの子供たちと名づける
 だから、どうか、もうこちらには来ないでよ、
 アルコールで痒い頭を掻き毟って、
 酒場通りを突っ切ってくれ
 中年時代を色取るはずだった、さまざまな技法を忘れて、
 たったいまアンプの電源を入れたんだ
 果てしない初恋の地獄、愛の地獄をもう受け入れまいとして、
 ぼくはかの女を世界から削除して、
 意味を失った言語から文字を差し引いたんだ
 けっきょくきみが知るかぎりに於いてぼくは終わってしまった大人で、
 この場所には夢も望みも、温かい繋がりもない
 人生の速度はおもったほど、速い
 長い眠りのようで短い覚醒に過ぎない
 やがて寝台特急の幻影のなか、
 なにもかもが消えてしまい、
 ぼくはまたしても、
 朝食を忘れる。
 
   *

 冬の夜のマントなかで男が通りを過ぎてしまうのは父の姿だろうか
 もはや交歓のないおもいでの在処をぼくは殺戮して時間を潰した
 道の端に坐って莨を吸う老人たちがガードレールを喰む
 ラジオがぼくに語りかけ、バナナが人知れず腐れる
 黄色いヤッケのランナーがひとり車間を縫って、
 未明の海岸まで走るさまは'90年代の映像だ
 しかもその画質にはVHSの香りがして、
 多くの孤立者を酩酊させてしまう
 ぼくは巨大なマシンになって新神戸駅へ突入したい
 これまで生きた証、ここまでやってこれたことをたっぷり憎みたいからだ
 ダイアとダイアが交差する、──谷上駅からカウントされた爆撃予告、
 そしてポンヌフと名づけられた電話を、携帯して歩くひとびとに幸福を与えたい
 まちがっても自身の地図にない過去をふり返ったりしなくて済むように罰したい
 公衆電話が鳴る丘で、ぼくは蜥蜴の気分で呼吸を整える
 引用された意味と文脈がすれちがったところから、
 ハム・エッグ・トーストをつくる方法がわかったから、
 もはや『緑の思想』をたずさえて歩く必要はなくなった
 ベーコンを剥奪されたフランシスの頭上をずっと泳いでゆくんだ
 だれともつかない呼び声がビコーズ、ビコーズ、と囁くのはなぜか
 たぶん──ときみはいう、──ここが世界で最初の12月だからさって。
 号令と大礼服が支給された町で、夜長姫が毎日殺されるぼくの世界じゅあ、
 もはや、きみとぼくでしか、この自由を確かなものにはできない
 だって、──とぼくがいう、──ここが世界で最後の12月だからって。
 真夜中、運ばれたラジオが役所で自裁したとヘッドラインの速報が告げる
 ああ、この情景こそがぼくに与えられた幸福なんだ
 おお、この迷信こそがぼくに決定づけられた罰なんだ
 遠い中心街で、まっすぐにきみと見た、
 ぼくがきみと出会うまでの回路を。
 その地平が光りだす、あの恍惚のすべてを
 ぼくらは見つめる、なにもかも信じようと
 なにもかも受け止めようと。

   *

 ただいまアリゾナ州トゥーソンにてキャデラックの卵巣から電波を受信しました  
 だれかが鉈を抱えてこちらに来ないものかと、ずっと不安に怯えながら
 これまでの愚かな行い、アルコールに起因する問題行動の夥しさで、
 ずっと、ずっとナースコールを鳴らしている
 ぼくはいつも嘔きそうなんだ
 遠くの友人たち、そのだれもがぼくを変におもうだろう
 ぼくが狂ったっておもうにちがいない
 でも、ぼくはこの暑いアメリカでずっと列車を待っている
 次発の地下鉄へ乗って、17系統のバスを待つ
 囚人たちのイカしたリズムでタンゴを踊る、警笛を持ったベースマンと一緒に
 ぼくの出生日時と、ぼくの死亡日時を繋いでメビウスの輪にしたい
 銀河と渾名された車で、トラックメイカーたちの麦畑を侵したい 
 タジョウマルという猫をつれてテレビ画面を登りたい
 知らない土地で知らない駅を探すように
 きみはぼくの内奥でさまよう
 大丈夫、ぼくが手を握っているから。
 どんな迷妄もどんな虚構も、
 敵じゃないさ
 いつものように笑い澄まして、
 郷愁に充ちた道を破壊する愉楽をつくりあげる
 雨期のような姿で歩くきみを7月のようなぼくが追いかける
 洞(うろ)を叩くレゲエが、フランス国歌を唱うなか、
 ぼくはきみと、君が代のリズムで、
 ブルーズを奏でたい
 いまこそ。
 
   * 
 
 テレビ画面のすみっこでぼくは警笛を聴いていたのは午前2時も半ばだった
 トラックがスタックして鉈が投げだされるまで不安に襲われていた
 だれかが枝を踏む、その音にだれも気づかないまま過ぎる
 死んだ人間の婚姻をきみは信じない
 マディソンが焼け落ちたあたりで、
 ぼくの眼を奪おうときみが待つ
 隣人はまだ待機中である
 それもいい、──ぼくのなかでみんな水のないプールみたいに人生を諦めている
 だれともつかない呼び声がアデュー、アデューと叫ぶのは儀式だ
 その声にぼくはカシアス・クレイの兄弟たちと名づける
 やがてふりかぶった拳がクロス・カウンターを決めるとき、
 はじめてぼくはきみの顔に気づく
 きみはぼくだった
 夜は暗闇だった
 音楽は世界だった
 7番めの月が落ちるとき、
 ぼくときみとの成果物のなかの忘れられたアボガドが放たれ、
 だれもいない公園の真ん中で、名づけられない怪物とともに眠ったんだ
 滲んだピンクがつづく裏階段でドロップを嘔きだして、
 ペーヴメントに斃れたんだ
 だれかがぼくの躰をひきずってゆく
 さようなら、ぼくの愛しかったひとたち
 蒐集して来たレコードジャケットたち
 マゼンダからブルー・ヴェルヴェットへと至る場面で
 死んだ鳩のようなぼくは長いお別れとともに
 またもや夕食を忘れている。