短歌日記

 

 来る春の腐刻画ひとつ闇ひとつ花のなかにて眠れる比喩よ


 たそがれの領地かすめる鳥ならば翅は青ばむ午後の公園


 陸橋の軋みのうえを通りすぐ大きな男泣き止まぬなり


 笛吹けば赤き女の立ちどまる通学路には大人ばかりだ


 憐れみもなくてひとりのなかでさえうつむくばかりさらば青春


 みどり打つ雨の滴り 物語 なおも走れり登場人物


 いまもなおひとりの孤立 永遠を計り損ねたマネキンたちよ


 かつてまたひとりの子供トンネルのむこう側から大人になりぬ


 酢漿草のかげのかかったビル街を越えていま歩く地平線かな


 家計簿の暗黒歩くわれわれが書きそこないのホリゾントゆえ


 長き夢やがては落ちる中空を飛べるがらすの翅の少年


 摩天楼逆さに飾る窓がまたひらけてしまい落ちるひとびと


 観劇のさなか天井分裂する、その真昼とて僕は愛しい


 タレーラン捲る片手も回転す眩暈のなかの見知らぬひとびと


 波しぶく春の予感よさまざまのうつろい菊の花のごとくに


 石のうえを流るる雲がやがて雨とならしむこのさみしさよ


 地平やがて破かれるのみ足もとの石のひとつにおもう虚しさ


 なによりもつよくありたし空蝉のすべてを土に葬りやりぬ


 月走る 洋品店のうらがわに星が瞬く殺意のごとく


 眼球に花咲く真昼うつろいのごとくにひとが崩れ落ちぬる


 訪わぬかなひとの姿を待ちながら萩の道ゆく秋の暮れ方


 冬の死はウールの裏地憎しみはたとえば猫の皮衣


 鰥夫なる地方官吏が眠りいる待合室の果てなき穴


 巣ごもりのままに果てたり疫病の時代に愛を語らいながら


 氷上の稲妻光る午後の劇 役者のひとりかくれんぼする


 望みすらなきままつづく春の園はぐれて出逢う過去の郷愁


 逢瀬なきことの意味をばおもいつつからたちの花いまに枯れゆく


 満つる月よ潮の匂いを追いかける少女の夢に現れたまえ

 
 少女病患いながらゆく街にてふいにわれを呼ぶ声あり


 寄る辺なききみのうなじを洗うのはかぜにまぎれたブタクサだけだ


 暮らす世の花が切られてひとり泣く男のような鳥の姿よ


 孤独とは夜の符牒か昼なのか長い暮らしのなかの鳥籠


 売却する土地建物の一切を父の迷妄憑き物件


 建売の住居一覧閲覧す悪魔のごとき棲家求めて


 鍬初めの土の啼く春面映ゆい暮らしの窓を閉じて眺むる


 さめざめと赤い女が泣く夕べ蜆のひとつ床に落ちたり


 男たることの憐れや一粒の葡萄の種を遠くへ飛ばす


 かすむ春根菜ばかり掘り返す農夫の頭蓋蜂の巣に似て


 欄干の洗濯物よニッポンの母という名の魔女たちの午後


 泳ぐひと岸に帰らずみなはみな昼餉の鯵を食べ残すなり


 供物なき墓を眺めて過ごしたり夜勤終わりの日曜の午後


 花ばさみいつかの殺意おもわれて不燃物として遺棄す


 ふいにわが頭蓋回転する夜の訪れ寂しみな厭われて