短歌日記6

 

   *

 
 かげを掘る 道はくれないおれたちはまだ見ぬ花の意味を憶える


 眠れ 眠れ 子供ら眠れ 日盛りに夏の予感を遠く見ている


 プラタナス愛の兆しに醒めながらわがゆく道に立つは春雨


 祖母の死よ 遠く眠れる骨壺にわが指紋見つかりき


 葡萄の実が爆発する夜 ふいにわが腿のうらにて蜘蛛が這うかな


 数え切れない亡霊とともにフランクル読みし夜


 翳る土地 窪みのなかに立ちながら長い真昼と呼吸を合わす


 中止せる労働争議飯場には怒りのなかの諦めがある


 楽団が砂漠に来るよ町はもう瓦礫のように散らばっている


 供物なき墓を背中に去ってゆく少年たちの歌声ばかり


 オリーブの缶詰ひとつ残されてわれまたひとり孤立を癒す


 悪しき血がわれを流ると大父の言葉を以て出るかな 家を


 さらぬだにかぜのなかにて叫ばしむ 父なるものを憎しめとわれ


 瘤のある人参ならぶ店先にわれはたたずむ 人参のごと


 地下鉄にゆられる少女ためいきがやがて河になり馬になる


 封鎖されし公園金網越しの出会いもなくやがて消えゆく雲井小公園


 右左口の写真のひとつ階段に眠れる坊や、やがて醒めゆく


 夜にまだ玉葱色の月が照るかなえのなかにわれ呼びかける


 岸辺にてきみがいるならわれはただ永久に語れり虚構の歌を


 みなしごのごとくおもうみずからを 親兄弟に絶縁されて

 

   *

 

短歌日記5‐pt.2


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 子供服婦人用品深緑いつかの憂い現実となり


 旅枕玻璃戸のなかに父母たちの悪霊ばかり見し夜よ


 くれないのまんこ閃く花の蜜滴りながらやさしく嗤う


 天秤のうえを切なくゆれる石わが魂しいの代わりなりたり


 草原に馬が一頭走るなかソーダ水の泡が消えゆく


 時代霞む軍国の兵士募集広告日当¥52000より


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短歌日記5‐pt.1

 

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 忘るたび立ち現るる初恋のひとのうしろをしばらく見つむ


 凱歌鳴る戦のなかを走る子のまざまざしき不安とともに


 午睡するわが胸寂しいま深く棺のなかをゆられるばかり


 仲の良い友がいるならそれでいい ひとりの日々を過ぎ越しながら


 降ればいい 雨粒なども愛しくて路上にわれを取り残すかな


 黄昏の領地バンドが駆けめぐる裸足のままの少年のよう


 色紙の閃く真昼だれひとり抗うことのなきままに


 うら若きわれらの過去よ枇杷の実が落ちてゆくなり悪魔のごとく


 土狂う畔の爆発 太陽が失せる真昼のわたしの心


 星屑やいつか頭上に降りて来い子供のような幼い光り


 パーカッション鳴らす男が泣きわめく小鳥の化身いま飛びあがる


 焚火痕ひとり慰む火もあらずやけぼっくりの燃え残るのみ


 春菓子の匂いのなかに過去を見る男の頭蓋いま回転す


 嬰児のかげがいよいよ巨大化す春の嵐に吹き荒らされて


 花どきの督促状や森をでるかつてのように裁かれながら


 伏字のごとく青年期あり男らが運び去りゆく記憶の数多


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短歌日記4

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かたわらに野良を連れたりわれもまたやさしく虚勢はるばかりかな

 

 

街歩む青葱色の外套に過去のすべてをまきあげてゆく

 

 

装丁家校閲係印刷工作者の悪夢いま売りにでる

 

 

狙いなくていま倦みながら白鷺の季節の上を斃れるだけか

 

 

風がまだおまえを忘れないのなら頭上の鐘をいま打ち鳴らせ

 

 

ミラー全集買いに出でて行方不明になりし妹たちの悪霊があり

 

 

固有性失いながら海岸を求めて走る自動車の旅

 

 

忘れてしまおう 恋人たちの胸を焼く鉄砲百合の銃口などは

 

 

銃後にて向日葵が咲く戦いのむなしさなどを嚙みしめるかな

 

 

ためらいのなかの邂逅 春の日の花粉のなかを走る犬たち

 

 

青饅に月夜が滲む春の日の憎しみばかり新しきかな

 

 

石鹸玉 子供が飛ばす休日のもっとも昏い路地裏の果て

 

 

胡葱のような素足でバレイする少女のひとり暗闇に声

 

 

ひとりのみ映画のなかに閉じられて都市の憂鬱と熊穴を出づ

 

 

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短歌日記3

花の伝説


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 森深く無名の花があるらしと母の死後にて知るわがひとり


 友情論なきまま老いてひとりのみジンジャーエールを飲む夕暮れや


 ささやかな花のひとつもなき死にて悼むことなし中年の夜


 弟の不在の彼方 鞄には失踪宣告の贋物がある


 わがうちの夢の蒼穹呼べばまだ熱くなりたる指先などは

 
 声喪わば歌を見棄てて歩むだろう すべての歌を過去に喩えて


 子ら眠る地平の彼方一輪の椿の花を盗み採るなり


 森が啼く春を寿ぐ仕草して風上にビルが建ち並ぶなり


 夜半にてわが犯罪を回想する いまにすべてを明らかにする


 野山ゆくきみの犯意に流されて縄をかけやる枝見つからず


 貨車ゆれる旅は亡霊運びつつ暗夜行路に友情もなし


 犬ふぐり 花は去りたり一頭の馬のひずめに季節流れる

 

   *

 

町への手紙


   *


 ひとり酔う悲しさばかり中年と呼ばれて久し夜の追憶


 なみだすら忘れてしまいたいという睡眠薬の空箱の染み


 副詞とは和解できないダイナーの灯りが遠くゆれる夜には


 早春のボディカウント兵士には眠れる場所は世界になく


 愛を知らず解体現場眺めやる だれもいなくなるまで見つむ


 草のようにゆれるひとなみものみな自然のままを真似ている

 

   * 

 

 

短歌日記

 

 来る春の腐刻画ひとつ闇ひとつ花のなかにて眠れる比喩よ


 たそがれの領地かすめる鳥ならば翅は青ばむ午後の公園


 陸橋の軋みのうえを通りすぐ大きな男泣き止まぬなり


 笛吹けば赤き女の立ちどまる通学路には大人ばかりだ


 憐れみもなくてひとりのなかでさえうつむくばかりさらば青春


 みどり打つ雨の滴り 物語 なおも走れり登場人物


 いまもなおひとりの孤立 永遠を計り損ねたマネキンたちよ


 かつてまたひとりの子供トンネルのむこう側から大人になりぬ


 酢漿草のかげのかかったビル街を越えていま歩く地平線かな


 家計簿の暗黒歩くわれわれが書きそこないのホリゾントゆえ


 長き夢やがては落ちる中空を飛べるがらすの翅の少年


 摩天楼逆さに飾る窓がまたひらけてしまい落ちるひとびと


 観劇のさなか天井分裂する、その真昼とて僕は愛しい


 タレーラン捲る片手も回転す眩暈のなかの見知らぬひとびと


 波しぶく春の予感よさまざまのうつろい菊の花のごとくに


 石のうえを流るる雲がやがて雨とならしむこのさみしさよ


 地平やがて破かれるのみ足もとの石のひとつにおもう虚しさ


 なによりもつよくありたし空蝉のすべてを土に葬りやりぬ


 月走る 洋品店のうらがわに星が瞬く殺意のごとく


 眼球に花咲く真昼うつろいのごとくにひとが崩れ落ちぬる


 訪わぬかなひとの姿を待ちながら萩の道ゆく秋の暮れ方


 冬の死はウールの裏地憎しみはたとえば猫の皮衣


 鰥夫なる地方官吏が眠りいる待合室の果てなき穴


 巣ごもりのままに果てたり疫病の時代に愛を語らいながら


 氷上の稲妻光る午後の劇 役者のひとりかくれんぼする


 望みすらなきままつづく春の園はぐれて出逢う過去の郷愁


 逢瀬なきことの意味をばおもいつつからたちの花いまに枯れゆく


 満つる月よ潮の匂いを追いかける少女の夢に現れたまえ

 
 少女病患いながらゆく街にてふいにわれを呼ぶ声あり


 寄る辺なききみのうなじを洗うのはかぜにまぎれたブタクサだけだ


 暮らす世の花が切られてひとり泣く男のような鳥の姿よ


 孤独とは夜の符牒か昼なのか長い暮らしのなかの鳥籠


 売却する土地建物の一切を父の迷妄憑き物件


 建売の住居一覧閲覧す悪魔のごとき棲家求めて


 鍬初めの土の啼く春面映ゆい暮らしの窓を閉じて眺むる


 さめざめと赤い女が泣く夕べ蜆のひとつ床に落ちたり


 男たることの憐れや一粒の葡萄の種を遠くへ飛ばす


 かすむ春根菜ばかり掘り返す農夫の頭蓋蜂の巣に似て


 欄干の洗濯物よニッポンの母という名の魔女たちの午後


 泳ぐひと岸に帰らずみなはみな昼餉の鯵を食べ残すなり


 供物なき墓を眺めて過ごしたり夜勤終わりの日曜の午後


 花ばさみいつかの殺意おもわれて不燃物として遺棄す


 ふいにわが頭蓋回転する夜の訪れ寂しみな厭われて

 

短歌日記2


 かげひとつ 街のなかから掬いあげ いま左手の森に投じる

 

 あえかなる星の棲家よ夜というイレモノあればぼくも入りたい

 

 まだら雲 西の空にて揺蕩えばまだわれ知らぬ旋律を聴く

 

 かすかなるときのさえずり 終わりとはすべての罪が贖われること

 

 川魚 逆さに泳ぐ川上の 祈りのような水の満ち方

 

 神秘体験する電話ばかりの回転するデパート

 

 わがために黒髪洗う乙女らの心臓深く眠れる森は

 

 かぜのなかおのれを責めて歩きつつ座標のちがう人生おもう

 

 眠れわが亡霊 ゴーレムとともに街をさまようなかれ

 

 星づくめ 仮面のなかに展開する高架道路の夜のランプよ

 

 冬歩く 回想ばかり 人生はやがて墜落する真昼

 

 火祭りの果肉ひとつが腐れゆく だれもいないという事実

 

 坂道の途中がいまだ描かれず 空白に落ちるひとびと

 

 水瓶の大きな月夜 たとえればひとの重みに昇る新月

 

 言葉なきわれの地平に訪れるものあれば鳥を撃て

 

 ひと夏のおもいでありぬ森を抜けたら一面の水

 

 あなたの水のなかを歩いてわたしが訪れたのは幻灯機

 

 ふいに襟がゆれる たったいま閉じた心から風が吹くのだ

 

 頬熱くかぜのなかにて立ち止まる だれかがぼくを呼んでいるなら

 

 永遠を知らない真昼ひとりのみタクラマカンの砂上に光る

 

    映写技師不在のなかに重なってやがて光の一部となりぬ

 

 レズビアン 猛獣使い 売人は煙のように消える夢かな