Alone Again Or

 折れた、
 夏草の茎の
 尖端から
 滴る汁、
 突然静かになった水場
 あのひとが愛の、
 愛の在処をわかっていると誤解したままで
 おれは死ぬのか
 麦を主語に従えた季節は終わって、
 世界の夏で、
 いまは微睡む
 そして無線の声
 "The less we say about it the better"
 でもちがうって気づく
 おれはあまりにも
 語りすぎたと
 いままでずっとそう、
 いまだってそう、
 そのまま埋められない距離を
 いやいやして応える、
 子供みたいに
 雲が鳴きだしたあたりで、
 ようやく針が動いた
 運命でもないひとのためにおれは多くを喋り過ぎた
 それがまちがいだと気づくのが遅れて
 この地平、その起源すらわからず、
 死んでしまうのか
 折れた、
 茎の
 尖端から
 滴る汁、
 静かになった水場よ
 産まれた場所には2度と帰らない
 舞踏病に罹ったハイカーたち
 バスのアナウンス、
 警笛の回数、
 永遠、
 そんなものを抱えて、
 去ってしまってしまうんだ、
 またひとりで。

   * 

注釈:題名と最終行はLove”Alone Again Or”から。当初はキャロル・キングの”home again”を使う予定だったが、和訳を読んで断念。途中の英文はTalking Headsの歌詞から引用した。

父殺し 2024/04/14

  詞書 此処に至っても、いまだ父を殺す夢を見てゐる


 うつくしき仕事ありしか夏の日の父を殺せしわが夢の果て

 ジャン・ギャバンの左眉かすめていま過ぎる急行のかげ

 地球儀を西瓜のごとく切る真昼 夏に焦がれた蟻が群がる 

 老犬のような父あり土を掘るだれも望まぬ無用のおとこ

 ヴィジョンなき建築つづく旧本籍地 夢の家なぞ落成はせぬ

 わが父の叱声やまぬ朝どきよ「にんげんやめて、ルンペンになれ!

 薪をわる斧さえ隠語 ときとして虚にはあらざる代理の世界

 父さえも殺せぬわれをあざけりし世界夫人のエナメルの靴

 ポンヌフと渾名されてひさしい電話を手にひとびとの分断つづくものよ

 文学など識らないくせに語りたがる父の背中に降りる大雲

 水準器 水のなかにてゆるれもの示せるものみなわれを統べるか

 父殺し謳うよすがに残るかな数世紀もの猫の足痕

 男とう容れものありば生きる死を抱えてなおも夏日はきびし

 「父に似し声音」といわれ戸惑えるわれのうちなる血の塊りよ

 鏡わる 季節のなかの呼び声はいずれもだれのもまぼろしでなく 

 足の爪剪る真夜中にふとおもう遺影のなかの父の二重瞼を

 ドニ・ラヴァンを兄と呼びたきいちじつを生きて羞ぢることもなき夏

 わが死後に驕る父あり ひとびとの頭上をまわる薔薇卍かな

 少なくていいのだ だれも引き受けぬ如雨露のなかの残り水など

 「朝鮮!」と罵る父よ わが胸の38度を超ゆる夏蝶

 抱えては深くジャンプす 死の色はみなおなじなりあじさいの束

 やがて世が夢だと気づくこともあれ 革財布に護符を入れたり

 「死にたければ死ね」という声がしてふと父を懐かしむなり

 醒めてまだつづく夢あり 血だまりのなかに降り立つわが天使たち

ベルモンドの唇  04/13


 ながゆめのねむりもさめて梁あがる涙まじりの淡いため息

 去るひとよものみな寂しかたときも放さなかつた希みもあらじ

 意味論のむいみをわらう線引きの多き書物の手垢をなぞる

 夏よ──ふたたび駈け抜けん未勝利レースきようも観るのみ

 桃のごと手のひら朱む水場にてだれかがいつたわるくち落とす

 アレックス夢見る真昼最愛もなくて贖う「汚れし血」なぞ

 鞭のように蛇ぶらさがる樹木あり「美少女図鑑」ふと落としたり

 はつ恋のような初夏汗滲む肉慾はなし さらば青春

 来訪もあらず室にて梨を食むこのひとときのむなしさを識れ

 方代の額髪青き時代なぞ午睡のなかにひとり現る

 雨踊る駅まで趨る終列車到着時間ぎりぎりの脚

 大父の死に誘われてひとり立つ断崖ばかり果てもなき夢

 日向にて游ぶおもいでひとり出の夏の真午に辞はあらぬ

 青草の臭うゆうぐれ敵と見てわれを襲うか椿象の群れ

 よごがきの思想ばかりが照らされて拝むひとあり 神の莫迦

 それだけのこととおもってあるきだす夏帽ひとつからつぽにして

 水交じる場所を求めてあじさいの束を抱えて急ぐ老母よ

 くりかえしあなたのいつたことをいま録音してるいちまいのレコー

 つむじから虫が鳴いたよ 縁日の夜がふたたびきみを呼ぶのに

 だとしたらきみのテレビを破壊する ようでやらない時計が止まる

 からみあう壮暑の吐息 室外機 おれがゐなけりゃただのおんなだ

 トム・トムの皮が剥がるる夜ふかくいつか遭つたねあいつの悲劇

 「まけいくさならば戦え 誉れなどなくていいよ」はおまえの美学

 このままに死ねたらいいな夏あざむ冷やし飴降る午後の弔問

 J・P・ベルモンドの唇のような花肉ひらかれており旧県庁前

the burn out dreams

   ★

 どっかで「書くことによってじぶんを傷つけている」ブコウスキーは書いてる

 そうとも、多くの作家志望はそんなありさまだ

 文芸は長期的に見ると、とても不愉快だ

 毎回、じぶんが幸福でないことを確かめることなのだから。

 幸福の原感覚を持ないおれに

 いったいなにができるのかという疑問を

 いつも突きつけられている

 遠かれ近かれ、自己洞察や自己限定に接続された文学は

 やがて書き手の魂しいを危機に追いやりさえする

 自己とは無縁のことを書き綴る作家もいるが、

 おれはそうじゃない

 おれはそんなに器用じゃない。

   ★

 あたりまえのことをあたりまえにやれないじぶん。

 どっからやって来て、なぜいまここに至るのかを考えていた
 
 なにもできなかった、なにもいえなかった歳月

 これまでやった殺しの数々

 だれもがマネシツグミのように

 通りを横切ってゆく

 おれにはもうなにも書けない気がする

   ★

 桜はもう散ってしまった

 次は安いモノクロ・フィルムでも買おうか

 3本セットで¥2,000と端数だ

 モノクロには自信がないが、

 とりあえずの処し方だ

   ★

 だんだんと、じぶんの空虚さが

 浮き彫りになってしまった

 それを埋めるのは方法か、分裂か

 もはや精神病院がなんの助けにならないことを知ってる

 やつらにはひとを治療なんかできないのを知ってる

   ★

 おお、おれは手放してしまう

 これまで書いた多くのことをだ

 もはや帰って来ない大鳥に

 捧げるものはなく、

 いまという時間のなかで分割された欲望を羽のように仕立てて、

 地平線の起源すらも忘れて、

 過去のなかに埋没してしまうんだぜ。

   ★

もう、いやだよ


   *

 希死念慮がぶり返している。春になるといつも、どうにも心身の安定がむつかしい。一昨日、届いたフィルムをさっそくだめにしてしまった。おれの手はあまりにも不器用で、フィルムの装填さえできない。歌誌が終わって、どっと疲れたのもある。酒が切れたのもだ。夢を見た。またしてもいまの住居を喪う夢である。こういった夢はなにを意味しているのか。どうだっていい。とにかく2時には眠った。10時に電話。そして11時過ぎて起きた。いまは茹で卵をつくっている。なにかと気が焦る。きのうの夜にblogを更新したものの、だれも★を入れてくれない。だれにも読まれていない。午後から肛門外科に受診だ。切れ痔がぶり返している。排泄のときはいつも血がでる。やってられない。治っているあいだに手術を受けりゃよかった。また検査して、様子見だ。でも治まったころには忘れてしまうだろう。おれはいつも忘れるんだ。

 物質的恍惚や陶酔は幸福を産まないことに気づかされる。室には多くの本やレコードがあるのに、それについて語り合う友人がいない。恋人はいまだにいない。もうじき40の鰥夫で、人生にもそろそろ陰りが見えて来た。できることと、できないこと、やりたいけれど、やれないことが見えて来た。多くの失意と欲望に遊ばれ、いまや臥所もない。身を曝して、それでも遮蔽物を探す羽目になっている。汚い室で、なんの対話もなく生きつづけることは苦しい。
 わが師は「文学をつづけろ」という。でも、その方法がわからない。そろそろ書けなくなって来た。きのうの夜、歌詞の断片を書いたが、それは文学ではない。短歌がじぶんにふさわしい生き方だとはいえない。たしかに作品とおれは不可分だ。しかし暮らしのなかには明らかに歌人でないおれもいる。そいつは惨めな人生をつづけているものの、継続の意思は乏しい。肉親ですら愛さないおれを、愛してくれる他人などいるのかとおもう。ライブ出演で出逢いを獲ようともおもった。去年、「DxQ」という小さなハコで1回やった。おれには弾き語りができなかった。練習不足もあるし、基礎的な不勉強もあった。それに客がいないに等しかった。次は電子音楽でもっと好いハコにでたいけど、機材が足りない。ルーパーとアナログディレイと打楽器だ。正直、いまは気分が乗らない。来月、ルーパーを買えたらいいとおもうだけで、物事に打ち込むには意思が弱すぎるんだ。

 ”ため息が雲になる”──キングブラザーズはそう歌う。おれもそうおもう。破滅と恢復との往復に疲れて、身を滅ぼしてしまった気分。あらゆる過去、あらゆる呼び名とともに明滅している信号機のまえで夜を忘れた猫が午睡をする時間。おれは惰眠を貪って来た。その咎を受け止められずにいる。時間は短い。アルバムのデモを2枚、EPのデモを1枚、あとは電子音楽を3枚分録音できたらいい。あとは絵でも描いて余生を過ごしたい。エネルギッシュな時代は過ぎた。去ってしまったものを呼び寄せる方法はない。
 現在は過去のじぶんに対しての仕打ちの結果だ。きのうもきょうもギターに触れていない。そういったことの積み重ねがいまをつくっている。40前後の孤立者たちにいいたいのは早めにじぶんの死について考えを深めろといいたい。死が際立つほどに、やるべきことが見えてくる。といっても、これを書いているおれの気分はロウで、しばらくは変わりそうにない。いったい、どうすればいいのか。25日までは文なしで、希望はない。だれか、おれをパーティに招待してないだろうか?──生きる意味について過大評価していたのかも知れない。べつにすぐに死のうって気分じゃないが、文学を離れ、音楽面でそれなりできなかったら、また考え直す必要もでてくるだろうな。

   *

家出娘

 夏がようやく店頭から失せ、秋がささやかな絵看板になってあらわれたころだ。灰色がすべての、顔のない路次の途中、女の子がじぶんの服を売っていた。それも毎日、犬や猫が食堂へでかけ、ひとのすがたも同じように見えなくなる時間帯に決まって。ぼくがはじめてぶっついたのは雨のあがった木曜の午。往来のないところをぶらついていると、傘を展げた娘が着ている服に値札をつけて立っている。別段気にも留めず、その日は通りすぎた。

 翌週、がまんならない朝の光を避け、その路次にいく。かの女はまた立っていた。服は少しずつ売れるのか、初秋といえ、肌寒いかっこうをしていた。大昔のひっぴーや、あばずれならこんなことも平気かも知れない。でもかの女は耳環もせず、髪は黒、青白い肌でかたく口をつぐんでいるのだ。なんだか狂おしくてたまらないものがあったから声をかけてみる。──なんでそんなことを? かの女はいう、家出してきたんだと。金がなく、宿もない、梨の木のおもいでがあるだけよ。

 さらに翌週来ればかの女は裸になっていて、ふたりの男が運びあげるところだった。そしてすぐそばの店に連れていき、ショーウィンドウに設置した。そこへ若い女たちがまったく事務的な態度をもってして、かの女を着飾らせ、非人間的ななにかに変えていった。まるで人形なすがたに恥ずかしながらぼくは見惚れしまい、いつかきっと大枚を叩きつけてかの女を買ってやろうとおもった。あすも職がなく、金もない、梨の木のおもいでがあるだけだ。

インターネットと詩人たち


                              いわば情報社会における人間相互間のスパイである。
                                                寺山修司/地平線の起源について(『ぼくが戦争に行くとき』1969)


 小雨の多い頃日、わたしは自身を哀れんでいる。あまりにもそこの浅い、この27年の妄執と悪夢。なにもできないうちにすべてがすりきれてしまって、もはや身うごきのとれないところまで来ている。あとすこしで30になるというのにまともなからだもあたまもなく、職までもないときている。そのうえ、この土地――神戸市中央区にはだれも知り合いすらいない。もっとも故郷である北区にだってつながりのある人物はほとんどない。
 わたしが正常だったためしはいちどもないが、日雇い、飯場病院、どや、救貧院、野宿、避難所――そんなところをうろついているあいまにすっかり人間としての最低限のものすら喪ってしまい、もうなにも残ってはいないような触りだ。ようやくアパートメントに居場所を手にしたが、ここまできて正直をいえばつかれてしまった。回復への路次を探そう。
 考えるにインターネットは人間の可能性への刺客――同時に人間関係への挑戦状であって、その接続の安易さによっておおくの創作者をだめにしている。しかも偶然性に乏しく、なにか出会うとか、現実に反映させることはむずかしい。広告としての機能はすぐれているが、単純に作品を見せるにはあまりにも余剰にすぎるのだ。
 無論、巧く立ち回っているものもいるし、もちろん、これは社会生活から、普遍から脱落してしまったわたしの私見に過ぎないのだが、この際限のないまっしろい暗がりのうちでは、なにもかもが無益に成り果てる。作品のあまたがあまりにも安易にひりだされ、推敲はおろそかになり、他人への無関心と過度な自己愛を、悪意をあぶりだされ、あらわにさせる。せいぜいがおあつらえの獲物を探しだし、諜報するぐらいではないのか。創作者のなかには好事家もおおく、無署名でだれそれの噂話しをしているのをみかけた。
 そのようなありさまで現実でのあぶれものは、やはり記号のなかでもあぶれるしかないのである。身をよじるような、顎を砕くようなおもいのうちで意識だけが過敏になっていき、あるものはその果てにおのれをさいなむか、他者に鉈をふるうしか余地がなくなってしまうのだ。やはり現実の定まりをいくらか高めたうえで、少しばかり接するほどがいいらしい。
 寺山修司は映画「先生」について述べている。曰く《先生という職業は、いわば情報社会における人間相互間のスパイである》と。先生をインターネットにおきかえても、この一語は成り立つだろう。おなじくそれは《さまざまな知識を報道してくれる〈過去(エクスペリエンス)〉の番人であるのに過ぎないのである》。ほんとうはもっとインターネットそのものに敵意を抱くべきなのだ。それは生活から偶然を放逐し、あらゆる伝説やまじないを記録と訂正に変えてしまった。しかし、《実際に起こらなかったことも歴史のうちであり》、記録だけではものごとを解き明かすことできないのである。〈過去(ストーリー)〉のない、この記号と記録の世界にあって真に詩情するというのは、現実と交差するというのはいかなることなのか、これに答えをださないかぎり、ほんとうのインターネット詩人というのものは存在し得ないし、ネット上に――詩壇――くたばれ!――は興り得ないだろう。俗臭の発ちこめる室でしかない。
 わたしはあまりにもながいあいまにこの記号的空間にいすわりつづけた。そのうちで得たものよりは喪ったもののほうがおおい。現実の充足をおろそかにし、生活における人間疎外を増長させたのだ。詩人としての成果といえば、中身の乏しい検索結果のみである。あとは去年いちどきり投稿した作品が3流詩誌に載ったくらいだ。原稿料はなし。
 わたしはいやしくとも売文屋や絵売りや音楽屋や映像屋になりたかったのであって、無意味な奉仕に仕えたいわけではなかった。しかし、この敗因はインターネットだけでなく、わたし自身の現実に対峙する想像力と行動力の欠如にあったとみていいだろう。けっきょくは踊らされていたというわけだ。このむなしさを克服するにはやはり実際との対決、実感の復古が必要だ。想像力を鍛えなおし、歩き、ひとやものにぶっつくことなのだ。そうでなければわたしは起こらなかった過古によってなぶられつづけるだろう。 不在のひびきが聞えてくる。いったいなにが室をあけているのかを考えなければならない。対象の見えないうちでものをつづるのはなんともさむざむしい営為だ。創作者たらんとするものは、すべからく対象を見抜くべきだ。見える場所を見つけるべきなのだ。わたしのような無学歴のあぶれものにとっては技術よりも手ざわりを、知性よりは野性をもってして作品をうちだしていきたい。というわけでいまはわたし自身による絵葉書を売り歩いているところである。そのつぎは手製の詩集だ。顔となまえのある世界へでていこう。
 それははからずもインターネット時代の、都市におけるロビンソン・クルーソーになることだ。――小雨のうち、いま2杯めの珈琲を啜る。午前10時と13分。ハウリン・ウルフのだみ声を聴きながら。詩人を殺すのはわけないことだ。つまりそのひとのまわりから風景や顔や声を運び去ってしまえばいいのである。そしてすべてを記録=過去(エクスペリエンス)に変えてしまえばいいのだ。文学はつねにもうひとつの体験であり、現在でなければ読み手にとっても書き手にとってもほんものの栄養にはなりえないだろうとわたしは考えているところだ。
  夏の怒濤桶に汲まれてしづかなる――という一句があるようにインターネットはあくまでも海という過古を持った桶水の際限なき集合であり、現実や人間の変転への可能性はごくごく乏しいものなのである。

                              ひらけ、ゴマ!──わたしはでていきたい
                                                     スタニラス・ジェジー講師


 わたしの気分はこれそのものにいえるだろう。まずはネットを半分殺すとして、ぶつぶつとひとのうわさにせわしない、好事家よりもましなものをあみだす必要があるだろう。また紙媒体の急所を突くすべをあみだすことだ。ともかくこれからなにかが始まろうというのだ。最後にもしもインターネットになんらかの曙光があるとすれば、そこにどれだけの野性を持ち込めるかということだろう。集団や企業によってほぼ直かにいてこまされることが前提となっている、あるいはだれにも読まれないことが決まってる、記号的空間のうちにどれだけ、もうひとつの現実を掴むことが重要な段差として展びていく。──けれどそいつはほかのやろうがひりだしておくれよ。
 わたしはいま、しがない絵葉書売りに過ぎない。ふるいアパートメントの階段がしっとりのびていき、その半ばへ腰をおろすとき、はじめに見るのはわたしの足先だろうか、それとも鉄柵よりながれこむ光りだろうか。